午前二時四十一分
霧は、何かを隠すように静かに流れ込んできた。
穏やかな霧ではない。 映画の中のような、都合のいい霧でもない。
重かった。
肺にまとわりつき、音を鈍らせ、距離の感覚を歪める。
すべてが――本来よりも近くにあるような、不自然な気配。
その桟橋は、俺の知るどの地図にも載っていなかった。
古びた木材。 塩に侵された釘。
何度も継ぎ足されたようにも見えるし、 一度も手入れされていないようにも見える。
誰にも見られずに何かが訪れ、 記録されることなく去っていく――そんな場所だった。
ここに来たのは、選んだからじゃない。
来させられた。
あの数字に。
それは一時間前、突然現れた。
今回は端末ではない。スマートフォンだった。
通知もない。送信元もない。
ただ、黒い画面が、ひとりでに光った。
2 — 41 — 17 — 9 — 0 — 22
メッセージはない。
ただ、その並びだけ。
そして、その下に――かすかに、読まれることを拒むような文字。
「TIDE WINDOW: OPEN」
無視できる類のものではないと、直感していた。
0417のあとでは、なおさらだ。
海は異様なほど静まり返っていた。
波の音もない。 鳥の気配もない。
ただ、低く、かすかなうなり。
まるで水の底で、何かが思考しているようだった。
桟橋の中ほどで、それに気づいた。
光。
上ではない。
下からだ。
最初は、発光する海の生物かと思った。
だが違う。
生き物の光ではない。
規則的に、正確に、脈打っている。
もう一度、数字を思い返す。
2 — 41 — 17 — 9 — 0 — 22
パターン。
いつもそうだ。
並びには意味がある。
組み替え、分解し、あらゆる可能性をなぞる。
だがどれもしっくりこない。
そのとき、違和感に気づいた。
これは計算じゃない。
リズムだ。
二秒。 四十一秒。 十七秒。 九秒。 ゼロ。 二十二。
光が脈打つ。 止まる。 また脈打つ。
偶然ではない。
これは――待っている。
桟橋の縁に身を屈める。
木が、わずかに軋んだ。 拒絶するように。
その下で、水面がわずかに裂けた。
そして現れたのは――
構造物だった。
船ではない。 漂流物でもない。
扉。
円形の、金属製の扉が、海中に沈んでいる。
その縁には刻印が並んでいた。
文字ではない。 記号でもない。
数字。
しかも――完全に一致している。
2 — 41 — 17 — 9 — 0 — 22
その瞬間、あの圧力が戻ってきた。
視線を感じる。
何かが、こちらを認識した――そんな感覚。
背後で、足音がした。
静かで、無駄のない足取り。
振り返る必要はなかった。
分かっていた。
キャットウーマン。
彼女は光の中には入らない。
霧の境界に立ち、輪郭だけを浮かび上がらせている。
鋭く、動かない影。
「早いわね」
低く、どこか愉しんでいる声だった。
「時間が決まってるなんて聞いてない」
彼女はゆっくりと距離を詰める。
霧が、彼女を受け入れるようにまとわりついた。
「いつだって決まってる」
「あなたが知らないだけ」
俺は水面を指す。
「数字が一致してる。扉と――」
彼女は、わずかに首を傾けた。
試されていたことに、今さら気づく。
「扉じゃない」
間。
「鍵よ」
その瞬間、光が変わった。
脈動が止まり、海が完全に静止する。
そして、数字が並び替わる。
画面ではない。
頭の中で。
22 — 0 — 9 — 17 — 41 — 2
逆順。
胃の奥が冷たく沈む。
「……音か」
彼女は、ほんのわずかに笑った。
「やっと、聴こえた?」
海が応じた。
水中の扉が、静かに開き始める。
音もなく、ゆっくりと。
その奥から――
音が漏れ出した。
機械でも、自然でもない。
深く、重く、響く音。
空気を伝わるものではない。
身体の内側を震わせる。
桟橋が揺れる。
霧が、内へと引き寄せられていく。
そして――
何かが浮上する。
全体は見えない。
だが、十分だった。
これは金庫ではない。
入口だ。
振り返ると、彼女はすでに背を向けていた。
「待て」
「これは何だ?」
彼女は立ち止まる。
だが振り返らない。
「0417はアクセス」
わずかな間。
「0418は招待」
霧の中へ、一歩。
「三つ目は――」
静かな声。
「向こう側が望まない限り、与えられない」
そして、消えた。
音はさらに強くなる。
そして、最も厄介なのは――
その音が、
俺の名前を呼んでいる気がすることだった。